PLAY VIDEO パモン アニメーション|2014 当真 一茂 東京藝術大学大学院 作品Webサイトhttp://nazetarouweb-page.wix.com/nazetarouweb 作家についてのお問合せ 審査員コメント 作者は、以前もフェルトを用いたアニメーション作品、Happy fluffy time を応募していて、そこではフェルトの素材性を存分に生かした変身/メタモルフォーゼが展開されていた。つまり、フェルトが雲になったり、羊になったり、綿飴に変身していくのだが、その変身は同時に、フェルトで作られたその世界が生を失って再びフェルトに戻って崩壊してしまうのではないかという不穏さを生み出していた。そうした、登場キャラクターの見た目の可愛らしさの裏側にある、見えているものを支える足場の不安定さ、不穏さに驚いた事を覚えている。そして、あえて極端に言えば、この「パモン」は、そのフェルトによる変身が全面的に適用された後の世界なのではないか。フェルトの特性から1つの完成された世界全体を構築したのだと思う。胸毛でコミュニケーションをとったり、頭部が変身する設定などはフェルトであるからこそ、とても魅力的で有効に機能している。一方で、現実の世界から離れて、舞台が完全な異世界となった事は、よりフィクションとしての強度を高め、以前のHappy fluffy timeにあったような不穏さは弱まってしまったようでもある。けれど、捕獲した動物を食べるシーンで、フェルトをはぎ取ったその皮下に、フェルトとは異なる素材で血の生々しい表現が用いられている事は着目すべき点だろう。世界の全てがフェルトだけで出来ている事を否定し、何か別の生の原理がフェルトの皮下にあることを示唆しているかのようだ。この血の表現のあり方は、倒錯しているようでもあるが、なにかもっと別の可能性に広がっているようにも感じられた。 谷口 暁彦 作家 この作品では、「パモン」なる不思議な生命の生態や生活様式、文化が描かれる。そこには、これといった強力な物語は無く、スケッチのようにいくつかの場面が淡々と切り取られていく。人形のコマ撮りという技法がそうさせるのだろうか。私たちの世界のどこか一部を共有しているような、そういう一定のリアリティを感じると同時に、パモンの視点から遊離した観察者の視点を感じる。ゆえにこの作品を見ていると、パモンへの理解、ひいてはこの世界観の体系を理解するための端緒を探そうというモードに徐々に移行していくのだが、そうした矢先に取ってつけたようなカタルシスが凶暴に立ち上がり、唐突に終了する。結局、パモンのことなんてこれっぽっちも分からなかったけど、そもそも分かるわけが無かったのかもしれない。そういう「まぁ、いっか」と諦めさせるような、力強い虚無感と清々しさに魅力を感じた。終わり良ければ全て良し。 渡邉 朋也 作家 2023 アート&ニューメディア部門 映像&アニメーション部門 ゲーム&インタラクション部門 パートナー賞 2022 アート部門 エンターテインメント部門 パートナー賞・ナレッジ表彰 2021 アート部門 エンターテインメント部門 パートナー賞・ナレッジ表彰 2020 アート部門 エンターテインメント部門 パートナー賞・ナレッジ賞 2019 アート部門 エンターテインメント部門 パートナー賞・ナレッジ賞 2018 アート部門 エンターテインメント部門 パートナー賞・ナレッジ賞 2017 アート部門 エンターテインメント部門 パートナー賞・ナレッジ賞 2016 アート部門 エンターテインメント部門 パートナー賞・ナレッジ賞 2015 アート部門 エンターテインメント部門 パートナー賞・ナレッジ賞 2014 受賞作品
作者は、以前もフェルトを用いたアニメーション作品、Happy fluffy time を応募していて、そこではフェルトの素材性を存分に生かした変身/メタモルフォーゼが展開されていた。つまり、フェルトが雲になったり、羊になったり、綿飴に変身していくのだが、その変身は同時に、フェルトで作られたその世界が生を失って再びフェルトに戻って崩壊してしまうのではないかという不穏さを生み出していた。そうした、登場キャラクターの見た目の可愛らしさの裏側にある、見えているものを支える足場の不安定さ、不穏さに驚いた事を覚えている。そして、あえて極端に言えば、この「パモン」は、そのフェルトによる変身が全面的に適用された後の世界なのではないか。フェルトの特性から1つの完成された世界全体を構築したのだと思う。胸毛でコミュニケーションをとったり、頭部が変身する設定などはフェルトであるからこそ、とても魅力的で有効に機能している。一方で、現実の世界から離れて、舞台が完全な異世界となった事は、よりフィクションとしての強度を高め、以前のHappy fluffy timeにあったような不穏さは弱まってしまったようでもある。けれど、捕獲した動物を食べるシーンで、フェルトをはぎ取ったその皮下に、フェルトとは異なる素材で血の生々しい表現が用いられている事は着目すべき点だろう。世界の全てがフェルトだけで出来ている事を否定し、何か別の生の原理がフェルトの皮下にあることを示唆しているかのようだ。この血の表現のあり方は、倒錯しているようでもあるが、なにかもっと別の可能性に広がっているようにも感じられた。
この作品では、「パモン」なる不思議な生命の生態や生活様式、文化が描かれる。そこには、これといった強力な物語は無く、スケッチのようにいくつかの場面が淡々と切り取られていく。
人形のコマ撮りという技法がそうさせるのだろうか。私たちの世界のどこか一部を共有しているような、そういう一定のリアリティを感じると同時に、パモンの視点から遊離した観察者の視点を感じる。ゆえにこの作品を見ていると、パモンへの理解、ひいてはこの世界観の体系を理解するための端緒を探そうというモードに徐々に移行していくのだが、そうした矢先に取ってつけたようなカタルシスが凶暴に立ち上がり、唐突に終了する。結局、パモンのことなんてこれっぽっちも分からなかったけど、そもそも分かるわけが無かったのかもしれない。そういう「まぁ、いっか」と諦めさせるような、力強い虚無感と清々しさに魅力を感じた。終わり良ければ全て良し。