フランスパンスナップ 写真|2014 長内 美紗子 東京藝術大学 CAMPUS GENIUS GOLD 作家についてのお問合せ 審査員コメント お洒落な風景のアイコンとして、フランスパンがいつから映像に登場し始めたかは良く判らないのですが、作者が言うように確かにある雰囲気を演出する力はあると思います。そのフランスパンが作者の旅のお供として様々な場所に登場し、撮影されたスナップ写真の面白さ&楽しさは秀逸。世界中を旅している作者のアクティブな行動力にも共感を感じます。ところでこれらのフランスパン、日本から持っていった?それとも現地調達? 原田 大三郎 映像作家 撮影編集技術の発達と普及、公開のプラットフォームの多様化にも関わらず、世界の写真のほとんどは、「子供」と「ペット」と「食べ物」だという皮肉めいた話を聞いたことがある。しかしこれは「食べ物の世界旅行記」。彼女と一緒なら雪原も山も海も公園も水族館もビエンナーレも、どこでもいい。空港の保安検査もちゃんと受けるくらい旅には馴れているから。期待を裏切らず、選考会の後にさらに増えている。まだまだこれからも続く、フランスパンの冒険。 馬 定延(マ・ジョンヨン) メディアアート研究・批評 フランスパン。場合によっては長さが60cmを上回ろうかというあのサイズでは、ビニール袋はおろか、リュックサックにも入れることも叶わない。よしんば入れたとしても、おそらく半分は不格好に顔を出してしまうだろう。幸いにして表面は硬いので、多少粗雑に扱ってもいきなり壊れることはないのが救いだが、だからといって、ネギや大根のように縁側や玄関にしばし放置するといったマネは許されない。後で水で洗えないのだから。かように、我々がひとたびフランスパンを購入すれば、そこから放たれる無言の、しかし頑とした主張に耳を傾け、それなりに丁重なもてなしをすることが求められる。社会がその存在を認識し始めて間もない頃は、そうした主張に耳を傾けることが人間としての器の大きさの証明につながる側面もあったのかもしれないが、その存在が広く膾炙した現在ではただの扱いづらいシロモノであり、人間との関係もいささか儀礼的である。この作品で描かれているのは、そうしたフランスパンの厄介さである。さまざまな場所にフランスパンを持って行くことで、さまざまなフランスパンの厄介さが浮き彫りになる。しかし、それでもフランスパンはフランスパンであることをやめようとはしない。それはフランスパンが、かつて人々に受け入れられた記憶を忘れられないからだろうか。そんな頑固な連中が近所のパン屋には潜んでいることを我々は理解しておく必要がある。 渡邉 朋也 作家 2023 アート&ニューメディア部門 映像&アニメーション部門 ゲーム&インタラクション部門 パートナー賞 2022 アート部門 エンターテインメント部門 パートナー賞・ナレッジ表彰 2021 アート部門 エンターテインメント部門 パートナー賞・ナレッジ表彰 2020 アート部門 エンターテインメント部門 パートナー賞・ナレッジ賞 2019 アート部門 エンターテインメント部門 パートナー賞・ナレッジ賞 2018 アート部門 エンターテインメント部門 パートナー賞・ナレッジ賞 2017 アート部門 エンターテインメント部門 パートナー賞・ナレッジ賞 2016 アート部門 エンターテインメント部門 パートナー賞・ナレッジ賞 2015 アート部門 エンターテインメント部門 パートナー賞・ナレッジ賞 2014 受賞作品
お洒落な風景のアイコンとして、フランスパンがいつから映像に登場し始めたかは良く判らないのですが、作者が言うように確かにある雰囲気を演出する力はあると思います。そのフランスパンが作者の旅のお供として様々な場所に登場し、撮影されたスナップ写真の面白さ&楽しさは秀逸。世界中を旅している作者のアクティブな行動力にも共感を感じます。ところでこれらのフランスパン、日本から持っていった?それとも現地調達?
撮影編集技術の発達と普及、公開のプラットフォームの多様化にも関わらず、世界の写真のほとんどは、「子供」と「ペット」と「食べ物」だという皮肉めいた話を聞いたことがある。しかしこれは「食べ物の世界旅行記」。彼女と一緒なら雪原も山も海も公園も水族館もビエンナーレも、どこでもいい。空港の保安検査もちゃんと受けるくらい旅には馴れているから。期待を裏切らず、選考会の後にさらに増えている。まだまだこれからも続く、フランスパンの冒険。
フランスパン。場合によっては長さが60cmを上回ろうかというあのサイズでは、ビニール袋はおろか、リュックサックにも入れることも叶わない。よしんば入れたとしても、おそらく半分は不格好に顔を出してしまうだろう。幸いにして表面は硬いので、多少粗雑に扱ってもいきなり壊れることはないのが救いだが、だからといって、ネギや大根のように縁側や玄関にしばし放置するといったマネは許されない。後で水で洗えないのだから。かように、我々がひとたびフランスパンを購入すれば、そこから放たれる無言の、しかし頑とした主張に耳を傾け、それなりに丁重なもてなしをすることが求められる。社会がその存在を認識し始めて間もない頃は、そうした主張に耳を傾けることが人間としての器の大きさの証明につながる側面もあったのかもしれないが、その存在が広く膾炙した現在ではただの扱いづらいシロモノであり、人間との関係もいささか儀礼的である。この作品で描かれているのは、そうしたフランスパンの厄介さである。さまざまな場所にフランスパンを持って行くことで、さまざまなフランスパンの厄介さが浮き彫りになる。しかし、それでもフランスパンはフランスパンであることをやめようとはしない。それはフランスパンが、かつて人々に受け入れられた記憶を忘れられないからだろうか。そんな頑固な連中が近所のパン屋には潜んでいることを我々は理解しておく必要がある。