PLAY VIDEO 正太郎 アニメーション|2014 前田 結歌 東北芸術工科大学 CAMPUS GENIUS BRONZE 作品Webサイトhttp://yukamaeda.com/ 作家についてのお問合せ 審査員コメント 現在、ドットの集積は、すでにじゅうぶんに人間としてみなされる資格をもっている。人間として名指すことができるものの範囲は、今まで考えられていたよりもかなり広がっている。逆に、人間自身は地位の低下を蒙っているのかもしれない。たとえばアイドルは人間なのだろうか?それはドットの集積、人の欲望に基づいて恣意的に集められたものと、何が違うんだろうか。たぶん何も違わないから、動いたり変わったりする現実の人間はもういらない。ドットの集積の世界で全ては事足りる。この作者の作品に漂う、絶対的に静止した時間の感覚が、その思いを確信に変えてくれる。 土居 伸彰 アニメーション研究・評論 私たちがPhotoshopを使って画像を加工したりするのは、自分にとって何か都合の悪いものを消し去ったり、逆に何か都合の良いものを付け足したいからだ。しかし、そういう都合は、自分に取っても、画像を見る側にとっても、余計なものでしかないので、加工の痕跡を隠蔽し、一定の真正性を維持しなければならない。今日、Photoshopの画像編集機能は、真正性の捏造を効率的に遂行すべく、ますます多様化・高性能化している。それを後押しするのは、人々の都合、社会に潜む集合的な欲望と言えるかも知れない。この作品では加工の痕跡どころかそのプロセスさえもバウンディングボックスごと露わになる。というよりもむしろ、それらが積極的に視覚効果の一部として導入され、そこを起点に物語を駆動しているように見える(昨年同じ作者が応募した作品「Henri」でも、ありのままのモーフィング処理を積極的に取り込んでいたが、今回はさらに大胆に、そして洗練されていると思う)。この手法が、アニメーションの視覚効果ということ以上に、Photoshopに託された集合的な欲望の存在を想起させ、なにか得体の知れない、とてつもなく巨大なものの存在をカメラの手前に感じさせる。スクリーンで起きる出来事の密やかさと、そうしたスケールの大きさのギャップが恐ろしくも美しい。 渡邉 朋也 作家 2023 アート&ニューメディア部門 映像&アニメーション部門 ゲーム&インタラクション部門 パートナー賞 2022 アート部門 エンターテインメント部門 パートナー賞・ナレッジ表彰 2021 アート部門 エンターテインメント部門 パートナー賞・ナレッジ表彰 2020 アート部門 エンターテインメント部門 パートナー賞・ナレッジ賞 2019 アート部門 エンターテインメント部門 パートナー賞・ナレッジ賞 2018 アート部門 エンターテインメント部門 パートナー賞・ナレッジ賞 2017 アート部門 エンターテインメント部門 パートナー賞・ナレッジ賞 2016 アート部門 エンターテインメント部門 パートナー賞・ナレッジ賞 2015 アート部門 エンターテインメント部門 パートナー賞・ナレッジ賞 2014 受賞作品
現在、ドットの集積は、すでにじゅうぶんに人間としてみなされる資格をもっている。人間として名指すことができるものの範囲は、今まで考えられていたよりもかなり広がっている。逆に、人間自身は地位の低下を蒙っているのかもしれない。たとえばアイドルは人間なのだろうか?それはドットの集積、人の欲望に基づいて恣意的に集められたものと、何が違うんだろうか。たぶん何も違わないから、動いたり変わったりする現実の人間はもういらない。ドットの集積の世界で全ては事足りる。この作者の作品に漂う、絶対的に静止した時間の感覚が、その思いを確信に変えてくれる。
私たちがPhotoshopを使って画像を加工したりするのは、自分にとって何か都合の悪いものを消し去ったり、逆に何か都合の良いものを付け足したいからだ。しかし、そういう都合は、自分に取っても、画像を見る側にとっても、余計なものでしかないので、加工の痕跡を隠蔽し、一定の真正性を維持しなければならない。今日、Photoshopの画像編集機能は、真正性の捏造を効率的に遂行すべく、ますます多様化・高性能化している。それを後押しするのは、人々の都合、社会に潜む集合的な欲望と言えるかも知れない。
この作品では加工の痕跡どころかそのプロセスさえもバウンディングボックスごと露わになる。というよりもむしろ、それらが積極的に視覚効果の一部として導入され、そこを起点に物語を駆動しているように見える(昨年同じ作者が応募した作品「Henri」でも、ありのままのモーフィング処理を積極的に取り込んでいたが、今回はさらに大胆に、そして洗練されていると思う)。この手法が、アニメーションの視覚効果ということ以上に、Photoshopに託された集合的な欲望の存在を想起させ、なにか得体の知れない、とてつもなく巨大なものの存在をカメラの手前に感じさせる。スクリーンで起きる出来事の密やかさと、そうしたスケールの大きさのギャップが恐ろしくも美しい。