Portrait of Daucus carota
インスタレーション|2015
この作品はスーパーに並べられているニンジンが人工的物的に感じられたことから始まった。普段見慣れた「ニンジン」が持ちうるいくつかの姿ニュートラル(野生)、古くからの人為(農業)、ミクロの振る舞い(組織培養)とその形成プロセスを並列に並べ眺めることで、ニンジンを人工や自然の二項対立を超えた入力と出力の触れ幅の中で揺れ動く「形」を発見する。均質と平均化が好まれる環境における形は人工なのか、野生の姿はどこまでその生物のオリジナルであるのか、超人工的空間で引き出される植物本来持つ振る舞いは自然とはいえるのか。同時に複数の顔を眺める事は、なんとなく私たちがぼんやりと持っている「ニンジン」のイメージの混乱と再統合を促すニンジンのポートレートである。
「スーパーに並べられているニンジンが人工的物的に感じられた」(石塚)ことに端を発する本作は、日常の事物の成り立ちに踏み込むことで、複数の可能的なあり方を探索していくアートとしてのフィールドワーク的実験である。畑からスーパーまでの流れ(商品としてのニンジン)、野生の状態、作者自身による組織培養実験という3事例の並列は、造形された「自然」とそうでないもの、人間によるさらなる操作可能性との比較を通して、技術、社会そして経済との相乗的関係を示唆しつつ、人間という存在にまでさりげなく踏み込んでいる。組織培養については唐突な感も否めないが、本人がバイオアートに関わっている事実に加え、この領域への自己言及として解釈した。
野生に生えているもの、農場で生産され、選別されたのち出荷されるもの、シャーレの上で組織培養されるもの、この3つの「ニンジン」の状態を丁寧になぞることで、僕らが当たり前だと思っていた「ニンジン」はある限定的な側面でしかないことを鮮明に気づかせてくれる。そして、その3つのニンジンの形態の違いは、自然環境、社会の経済的、美的価値観、そもそも細胞の塊としてのニンジンがもつポテンシャルなど、さまざまな要因によって生み出されることを知る。僕らが普段見ている「ニンジン」は極めて社会的で人間的な「ニンジン」なのだろう。またそれは、人がどのように環境と関わって生きているかというあり方を「ニンジン」を通じて見せてくれる。
Daucus carotaとは栽培種ニンジンの学名。その肖像というタイトルの本作は、同名のtumblerページで提出された。そこからは、ビデオと写真のインスタレーションの記録とそこで上映されていたビデオを見たり、「ニンジンをモデルとした生物の形と人為の関係についての研究」という修士学位論文を読んだりすることができる。生命、人為と自然、現代社会と食べ物、自然科学と芸術表現などのテーマは、44ページにまとめるには大きすぎる感がなくないが、「ニンジン」という身近な野菜に対する作者の好奇心の広がり方や、野生の観察、農家とのインタビュー、加工工場の調査、実験室における組織栽培など、様々な手法を用いて探求していく様子が非常に興味深い。この探求に何かのレッテルを張ることについて懐疑的な理由は、作者の世界の見方、作者が世界を理解していく方法の個性を大事にしたいからだ。