えんえん アニメーション|2015 山中 澪 東京藝術大学大学院 ART DIVISION GOLD 「いつか終わるの、嫌だね。このまま延々生き延びたいよって話したからなの? おかしいよ、なんか、もしかして…」という言葉の繰り返しを、繰り返すごとに分解し、意味を変えて、意味を無くしていった。それに合わせて螺旋階段を下り続けるアニメーションも変化していく。描いているのはものごとの終わり(死)を恐れる少女の葛藤とその折り合いの付け方だが、それを伝えたいということより、意味の無くなっていく言葉からも単語や絵から文脈を勝手に読み取り得ることのおもしろさが制作の動機の中心になっている。 作家についてのお問合せ 審査員コメント 作者の山中さんは、2012年に「おっぱいの役割」、2013年に「ちどり」が最終ノミネートに残っていましたが、今回の作品では飛躍的な成長を遂げて、晴れての優秀賞受賞となりました。今作では、暗闇の中で螺旋階段を降り続ける少女の姿が描かれますが、その図が人生を象徴していると一目で伝わります。回りくどい説明もなく、瞬時に目に飛び込んでくるグラフィックで全てを分からせてしまう。そういう説得力のある演出が素晴らしかったです。また、知的で上品な佇まいをしていて、アニメーションに雅さを感じます。構造からアニメーションを楽しませてくれたのも好感をもてました。次の作品では、どんな成長を見せてくれるのでしょうか?これからが楽しみです。 水江 未来 アニメーション作家 文学は最も原初的なアニメーションである、といったことをユーリー・ノルシュテインは言っていた。言葉というとても抽象的なものが、具体的な世界を受容者のうちに受肉させるからである。その世界はもちろん人工的なものであるので、ちょっとしたことで脆く崩れ落ちるだろう。しかし、その脆さゆえに、文学は自在な世界を作り上げることができる。この作品は、アニメーションの文学性とでもいうべきものに着目することで、未知の領域を果敢に切り開いている。グラフィックそのもの(だけ)ではなく、グラフィックが言葉と同じように媒介物となって、観客のうちに不安定でそれゆえに生成感漂う新しい世界を、観客へと目がけて、生みだしていく。だからこの作品はスクリーンの内側に留まることなく、終わりなく、えんえんと、溢れだし、こぼれおちていく。 土居 伸彰 アニメーション研究・評論 2023 アート&ニューメディア部門 映像&アニメーション部門 ゲーム&インタラクション部門 パートナー賞 2022 アート部門 エンターテインメント部門 パートナー賞・ナレッジ表彰 2021 アート部門 エンターテインメント部門 パートナー賞・ナレッジ表彰 2020 アート部門 エンターテインメント部門 パートナー賞・ナレッジ賞 2019 アート部門 エンターテインメント部門 パートナー賞・ナレッジ賞 2018 アート部門 エンターテインメント部門 パートナー賞・ナレッジ賞 2017 アート部門 エンターテインメント部門 パートナー賞・ナレッジ賞 2016 アート部門 エンターテインメント部門 パートナー賞・ナレッジ賞 2015 アート部門 エンターテインメント部門 パートナー賞・ナレッジ賞 2014 受賞作品
作者の山中さんは、2012年に「おっぱいの役割」、2013年に「ちどり」が最終ノミネートに残っていましたが、今回の作品では飛躍的な成長を遂げて、晴れての優秀賞受賞となりました。今作では、暗闇の中で螺旋階段を降り続ける少女の姿が描かれますが、その図が人生を象徴していると一目で伝わります。回りくどい説明もなく、瞬時に目に飛び込んでくるグラフィックで全てを分からせてしまう。そういう説得力のある演出が素晴らしかったです。また、知的で上品な佇まいをしていて、アニメーションに雅さを感じます。構造からアニメーションを楽しませてくれたのも好感をもてました。次の作品では、どんな成長を見せてくれるのでしょうか?これからが楽しみです。
文学は最も原初的なアニメーションである、といったことをユーリー・ノルシュテインは言っていた。言葉というとても抽象的なものが、具体的な世界を受容者のうちに受肉させるからである。その世界はもちろん人工的なものであるので、ちょっとしたことで脆く崩れ落ちるだろう。しかし、その脆さゆえに、文学は自在な世界を作り上げることができる。この作品は、アニメーションの文学性とでもいうべきものに着目することで、未知の領域を果敢に切り開いている。グラフィックそのもの(だけ)ではなく、グラフィックが言葉と同じように媒介物となって、観客のうちに不安定でそれゆえに生成感漂う新しい世界を、観客へと目がけて、生みだしていく。だからこの作品はスクリーンの内側に留まることなく、終わりなく、えんえんと、溢れだし、こぼれおちていく。