はるのかぜ アニメーション|2015 木下 絵李 東京藝術大学大学院 作品Webサイトhttp://erikinoshita.com/ 2年前、私が海外留学から帰ってくると、実家にいるはずの母がいなかった。私の知らないうちに、両親が別居していたのだった。このできごとをきっかけに、私にとって幼いころから絶対的な存在だった「親」が、ひとりの「人間」だということに気付きはじめた。親という立場を離れた父と母は、まるで別人のようだった。これまでの親子という関係が揺らいでいくことへの不安や戸惑い、初めて見る両親の弱さ、そして、私と彼らのあいだに流れる静かで穏やかな時間を、大切に記録したいと思った。 作家についてのお問合せ 審査員コメント 僕は、子供のころ、犬は全てオスで、猫は全てメスだと思っていた。なんの根拠もなく、ただその見た目の違いだけで漠然とそう捉えていたのだと思う。もちろん、すぐにそれが勘違いだったと知ることになったのだけれど。でも、今この歳になっても、自分の父と母が、動物で、人間で、男と女であることをあまり理解できていないように思う。たぶんそれは、僕自身がそうであるように、ある時、男であり、人間であり、動物であることを経験はすれど、理解はしていないからなのだと思う。この作品で、母は猫に、父は犬になってしまう。唯一、作者本人であろう彼女は、人間のまま取り残され、ほとんど表情を見せることなく坦々と父と母を描いていく。本当だったら、その悲しみやショックは、彼女を別の動物に変えてしまうのだろうけれど。3人がそれぞれ別の動物になってしまったことの悲愴が可愛らしい絵柄の隙間からこぼれ出てくる。 谷口 暁彦 作家 学部の時、心理学の授業で、対象の永続性(object permanence)という概念があることを知った。乳児が、両手で顔を隠したり見せたりするだけで笑いこけたり、親が一瞬席を外すと火のついたように泣き出すのは、まだその発達段階に至っていないからだと説明された。知覚の範囲を超える領域に対象が存在しつづけるという認識を意味するこの概念は、限りなく弱い生命が世界に対して抱く信頼と安心感が芽生える瞬間を描いている。人間が対象の永続性を獲得するのは生後8ヶ月頃。あの頃の私たちにとって、親という存在は、世界の全てを意味していた。この作品は、永遠に変わらない世界の魔法が解けていく過程を淡々と物語る大人のための童話である。アニメーションでなければ、もはや世界の全てではなくなったが、まだ自分の一部である存在が「対象」として再認識される経験を、パステルトーンで描くことはできなかったかもしれない。しかし、画面から感じられる温もりは、その色彩の視覚的な効果というよりかは、離別と喪失に耐えられる大人になるまで、優しく見守られてきた時間に対する感謝と、いつまでも変わらない愛、その温度ではないかと思った。 馬 定延(マ・ジョンヨン) メディアアート研究・批評 別れてしまう両親を猫と犬として表現することで、作者の実体験をかわいらしく、やわらかく表現している。主観のナレーションをベースにひとつひとつのカットが丁寧に作られ、物語が語られている。終盤、別れてしまった2人の微笑みがやさしく、1人と1人として歩んでいく2人には確かに暖かな風が吹いているように見えた。 堀口 広太郎 プロデューサー/グラフィニカ 作者の実体験を元にした架空の物語。少女の母親の家出からはじまるこの物語は、最初は「夫婦関係の難しさ」を表現しているのかなぁという風に思ったのだけれど、「親」でなくひとりの女性と男性の感情を、娘から見た目線で、とても上手に心情表現できている作品になっていた。作者の親へ対しての優しさがにじみ出る作品。僕はこんな作者を持って、本当に親御さんは幸せだなぁと思うばかりで、エンディングロールで少女が奏でるギターに、少しホロリときてしまった。 柳 太漢 インタラクティブディレクター/博報堂アイ・スタジオ 2023 アート&ニューメディア部門 映像&アニメーション部門 ゲーム&インタラクション部門 パートナー賞 2022 アート部門 エンターテインメント部門 パートナー賞・ナレッジ表彰 2021 アート部門 エンターテインメント部門 パートナー賞・ナレッジ表彰 2020 アート部門 エンターテインメント部門 パートナー賞・ナレッジ賞 2019 アート部門 エンターテインメント部門 パートナー賞・ナレッジ賞 2018 アート部門 エンターテインメント部門 パートナー賞・ナレッジ賞 2017 アート部門 エンターテインメント部門 パートナー賞・ナレッジ賞 2016 アート部門 エンターテインメント部門 パートナー賞・ナレッジ賞 2015 アート部門 エンターテインメント部門 パートナー賞・ナレッジ賞 2014 受賞作品
僕は、子供のころ、犬は全てオスで、猫は全てメスだと思っていた。なんの根拠もなく、ただその見た目の違いだけで漠然とそう捉えていたのだと思う。もちろん、すぐにそれが勘違いだったと知ることになったのだけれど。でも、今この歳になっても、自分の父と母が、動物で、人間で、男と女であることをあまり理解できていないように思う。たぶんそれは、僕自身がそうであるように、ある時、男であり、人間であり、動物であることを経験はすれど、理解はしていないからなのだと思う。この作品で、母は猫に、父は犬になってしまう。唯一、作者本人であろう彼女は、人間のまま取り残され、ほとんど表情を見せることなく坦々と父と母を描いていく。本当だったら、その悲しみやショックは、彼女を別の動物に変えてしまうのだろうけれど。3人がそれぞれ別の動物になってしまったことの悲愴が可愛らしい絵柄の隙間からこぼれ出てくる。
学部の時、心理学の授業で、対象の永続性(object permanence)という概念があることを知った。乳児が、両手で顔を隠したり見せたりするだけで笑いこけたり、親が一瞬席を外すと火のついたように泣き出すのは、まだその発達段階に至っていないからだと説明された。知覚の範囲を超える領域に対象が存在しつづけるという認識を意味するこの概念は、限りなく弱い生命が世界に対して抱く信頼と安心感が芽生える瞬間を描いている。人間が対象の永続性を獲得するのは生後8ヶ月頃。あの頃の私たちにとって、親という存在は、世界の全てを意味していた。この作品は、永遠に変わらない世界の魔法が解けていく過程を淡々と物語る大人のための童話である。アニメーションでなければ、もはや世界の全てではなくなったが、まだ自分の一部である存在が「対象」として再認識される経験を、パステルトーンで描くことはできなかったかもしれない。しかし、画面から感じられる温もりは、その色彩の視覚的な効果というよりかは、離別と喪失に耐えられる大人になるまで、優しく見守られてきた時間に対する感謝と、いつまでも変わらない愛、その温度ではないかと思った。
別れてしまう両親を猫と犬として表現することで、作者の実体験をかわいらしく、やわらかく表現している。主観のナレーションをベースにひとつひとつのカットが丁寧に作られ、物語が語られている。終盤、別れてしまった2人の微笑みがやさしく、1人と1人として歩んでいく2人には確かに暖かな風が吹いているように見えた。
作者の実体験を元にした架空の物語。少女の母親の家出からはじまるこの物語は、最初は「夫婦関係の難しさ」を表現しているのかなぁという風に思ったのだけれど、「親」でなくひとりの女性と男性の感情を、娘から見た目線で、とても上手に心情表現できている作品になっていた。作者の親へ対しての優しさがにじみ出る作品。僕はこんな作者を持って、本当に親御さんは幸せだなぁと思うばかりで、エンディングロールで少女が奏でるギターに、少しホロリときてしまった。