孵化日記 2014-2015 メタドキュメンタリー|2015 青柳 菜摘 東京藝術大学大学院 ART DIVISION GOLD 作品Webサイトhttp://datsuo.com [”孵化日記”について]”孵化日記”は、2011年から続けるメタドキュメンタリーのシリーズである。ある蝶の幼虫を探し求めながら自然に向き合うことを通して、生まれてから東京にずっと住む「自分」と、気づかずに見過ごしていた「自然」との関係性をヴィジュアルとナラティヴによって露見していく。機材/撮影/編集/上映/展示の5段階の過程でその時々の「自分」を介在させながら、映像におけるドキュメントを脱構築しようと試みた。 作家についてのお問合せ 審査員コメント 2013年度応募の「孵化日記」では、たどたどしい本人の語り口やスローでピントがずれがちな映像が、寄る辺のない印象をたたえつつもかつてない不思議な才能を予感させた(萩原俊矢評価委員賞を受賞)。2つの映像を含むインスタレーションである本作は、東京に生まれ育った青柳が、ある蝶の幼虫を探し求め「自然」に分け入り、孵化までを見守る中で自然と自身の関係を紡いでいくプロセスを追った、2011年開始の「メタドキュメンタリー」(青柳)の集大成として、作者の大きな成長と突出した才能を審査員全員に確信させた。「孵化」はまた、ピアノの発表会に向けて取り組む妹、そして本作が青柳の修士制作であることで多重の意味を含んでいる。人間や自然それぞれの営み、その中で生起する「メタモルフォーゼ」という視点からも、この作品を評価し祝したい。 原田 大三郎 映像作家 2年前の「孵化日記」に対して、現実を記述した情報からなるインターネットと現実そのものとの間に存在する齟齬に触れながらコメントを書いたのだが、いま改めて思えばその程度の射程でしかあの作品を捉えられなかったことをなんだか申し訳なく思う。自分はこの作品を見るまで、カメラをズームをしたり、近づいたりしても、見かけのサイズは大きくなるけど、対象そのものは決して大きくはならないということの意味を考えたことが無かった。そのようなところから改めて自然、あるいは身近なものごとを見つめることで、パリパリと音を立てて関係性が生まれ直し、世界が組み立て直されるような、そんな瞬間をすくい上げているように思う。とてつもなくダイナミック。 渡邉 朋也 作家 「…羽化してしまいました」からはじまる、孵化日記第二話。羽化も、何度目の経験でしたが、何度経験しても、その瞬間を目で見ることはできません、と話者は淡々と語る。小さな生命の密かな変化とそれによって変化する世界の全てを見届けることはできないのだ。羽化した蝶、死んだ幼虫、さなぎを還しに山に行く道には、いつのまにか新しい道草が生えて、あの時と同じ道ではなくなっている。ここに、まだ曲になっていない辿々しいピアノの音が重なってくる。少し遅れて、大人になっていく妹の時間だ。羽化した後に残ったさなぎのように、もう小さくなってしまった話者の紫のドレスを着ている妹は、過去の現在形でもあると同時に、異なる未来に向けて成長していくもうひとつの存在である。同じ瞬間を少し遅れて映したり、片方が見逃したもっと些細なところまでを見届けたり、少し後ろからの見え方を映したりしながら重なり合う二つの画面は、羽化の後に残ったさなぎとさなぎになろうとする蝶、妹のお誕生日と山のなかの虫のお葬式、過去の妹と話者と現在の妹を同価に映す。流れるピアノはだんだんショパンのノクターンになっていく。やがてひとつの曲が終わり、次の曲がはじまる。この瞬間にも世界がほんの少し変化している。待って、と手を伸ばしても、届かない。この瞬間は、こうして、生になっていく。 馬 定延(マ・ジョンヨン) メディアアート研究・批評 2023 アート&ニューメディア部門 映像&アニメーション部門 ゲーム&インタラクション部門 パートナー賞 2022 アート部門 エンターテインメント部門 パートナー賞・ナレッジ表彰 2021 アート部門 エンターテインメント部門 パートナー賞・ナレッジ表彰 2020 アート部門 エンターテインメント部門 パートナー賞・ナレッジ賞 2019 アート部門 エンターテインメント部門 パートナー賞・ナレッジ賞 2018 アート部門 エンターテインメント部門 パートナー賞・ナレッジ賞 2017 アート部門 エンターテインメント部門 パートナー賞・ナレッジ賞 2016 アート部門 エンターテインメント部門 パートナー賞・ナレッジ賞 2015 アート部門 エンターテインメント部門 パートナー賞・ナレッジ賞 2014 受賞作品
2013年度応募の「孵化日記」では、たどたどしい本人の語り口やスローでピントがずれがちな映像が、寄る辺のない印象をたたえつつもかつてない不思議な才能を予感させた(萩原俊矢評価委員賞を受賞)。2つの映像を含むインスタレーションである本作は、東京に生まれ育った青柳が、ある蝶の幼虫を探し求め「自然」に分け入り、孵化までを見守る中で自然と自身の関係を紡いでいくプロセスを追った、2011年開始の「メタドキュメンタリー」(青柳)の集大成として、作者の大きな成長と突出した才能を審査員全員に確信させた。「孵化」はまた、ピアノの発表会に向けて取り組む妹、そして本作が青柳の修士制作であることで多重の意味を含んでいる。人間や自然それぞれの営み、その中で生起する「メタモルフォーゼ」という視点からも、この作品を評価し祝したい。
2年前の「孵化日記」に対して、現実を記述した情報からなるインターネットと現実そのものとの間に存在する齟齬に触れながらコメントを書いたのだが、いま改めて思えばその程度の射程でしかあの作品を捉えられなかったことをなんだか申し訳なく思う。自分はこの作品を見るまで、カメラをズームをしたり、近づいたりしても、見かけのサイズは大きくなるけど、対象そのものは決して大きくはならないということの意味を考えたことが無かった。そのようなところから改めて自然、あるいは身近なものごとを見つめることで、パリパリと音を立てて関係性が生まれ直し、世界が組み立て直されるような、そんな瞬間をすくい上げているように思う。とてつもなくダイナミック。
「…羽化してしまいました」からはじまる、孵化日記第二話。羽化も、何度目の経験でしたが、何度経験しても、その瞬間を目で見ることはできません、と話者は淡々と語る。小さな生命の密かな変化とそれによって変化する世界の全てを見届けることはできないのだ。羽化した蝶、死んだ幼虫、さなぎを還しに山に行く道には、いつのまにか新しい道草が生えて、あの時と同じ道ではなくなっている。ここに、まだ曲になっていない辿々しいピアノの音が重なってくる。少し遅れて、大人になっていく妹の時間だ。羽化した後に残ったさなぎのように、もう小さくなってしまった話者の紫のドレスを着ている妹は、過去の現在形でもあると同時に、異なる未来に向けて成長していくもうひとつの存在である。同じ瞬間を少し遅れて映したり、片方が見逃したもっと些細なところまでを見届けたり、少し後ろからの見え方を映したりしながら重なり合う二つの画面は、羽化の後に残ったさなぎとさなぎになろうとする蝶、妹のお誕生日と山のなかの虫のお葬式、過去の妹と話者と現在の妹を同価に映す。流れるピアノはだんだんショパンのノクターンになっていく。やがてひとつの曲が終わり、次の曲がはじまる。この瞬間にも世界がほんの少し変化している。待って、と手を伸ばしても、届かない。この瞬間は、こうして、生になっていく。