quantum gastronomy

quantum gastronomy

インタラクティブアート|2016

持田 寛太

多摩美術大学

アート部門 SILVER

ART DIVISION SILVER

審査員コメント

  • 作者の「未来の我々の食卓の図、食文化の構想をする」という解説文の中の「量子テレポーテーションと分子ガストロノミーの実用と応用」をコンセプトにしたこの作品は、「スペキュラティヴ・デザイン」の範疇に入るようなメディアアート作品や、周到なリサーチに基づく未来への提案型作品なのか?という印象をまず受けるのだが、実際にこのインテラクティブ作品を体験すると、どうもそうでは無く、2台の少々古ぼけたような筐体を操作して食材を選択するとプロジェクションされる映像は、ハイスペックなゲームエンジンでリアルタイムレンダリングされ、ポンコツな耕運機のエンジン音と共に量子テレポーテーションを微細な光の流れで流麗にイメージさせ、食材がやけに小気味良くカットされ、ラーメン鉢に投入されていく。ユーモアに満ちた演出と効果音、操作体験の快感が印象深い。「スペキュラティヴ・デザイン」を偽装しながらメディアアート作品の純粋思考競争的側面を批判しているようにも思える。

    寺井 弘典 クリエイティブディレクター/P.I.C.S./多摩美術大学特任教授
  • quantumとは量子。ジャンプなどの名詞の前では、形容詞として飛躍的という意味もある。gastronomy は美食学。近年注目される分子化学技法を適用した料理、モレキュラー・ガストロノミーとは、「分子料理」と訳される新造語であり、この作品はさらに一歩進んで「量子料理」を試みている。2台の筐体(=箱)がインターフェイスとなっていて、片方のスイッチを押すと選ばれた食材の巨大なイメージが前面にプロジェクター投影される。選択された食材は、音とともにパッケージから解放されたり、小さく切られたりして、そして光の砂になってもう一台のディスプレイのなかの器に「吸い込まれる」という仕組みだ。ところが、「未来の我々の食卓の図、食文化の構想」という作者の説明を真に受けるには、笑のポイントが多すぎる。それは、トウモロコシの芯は捨てられるのに、なぜかアボカドの皮は果肉とともにまで運ばれることや、箱のなかの卵がすでに半熟であるということなどのディテールの話だけではない。使われているのが、典型的な美食の器である白い皿ではなく、B級グルメの代表であるラーメン鉢だからでも、一体どんなにすごいことが起きるだろうという期待感の末に、あまり食欲をそそらないビジュアルの食材がぽろぽろと落ちてくるからでもない。作者が「量子テレポーテーションの実用と応用」と呼んでいるのは、実は、同期されている2台の筐体として前面の壁のプロジェクトションが順番で切り替えられるプロセスの見事な演出である。このプロセスにおけるイリュージョンは、作者が上手に使いこなせている最新ゲームエンジンで実装したインタラクションより、むしろ私たちが映画などを通して学習している、テレポーテーションのイメージや音の変化を充実に具現しているCGの効果によるものである。圧倒的なテクノロジーを駆使しているかのうな雰囲気と、目の前で起きている出来事との間にあるギャップは、ひょっとしたら大いなるブラック・ユーモアではないだろうか。誤解かもしれないが、私はこの作品を「メディアアート作品を装った、痛快なメディアアート批判」として解釈している。前作から感じた「メディアアート的なもの」に対する漠然な憧れは個人的には評価できないものだったが、今回は、作者のメディアアートに対する愛着が、この悪意を感じない批判を可能にしたと思う。この作品を推薦した理由は、作者がこの「理のない料理」を通して、自分の思考を制約している既存の枠組を豪快に笑い飛ばして、もっともっと自由になってほしいからである。そして、お祝いに美味しいものでも一緒に食べに行きたくなる、次の作品を期待しているからである。

    馬 定延(マ・ジョンヨン) メディアアート研究・批評