「いっしょに!おえかきおねえさん」、「寿司パフォーマンス」など、作品を応募して、また高く評価されてきた「学生CGコンテスト」の可愛い常連さん。そうする必要がなかったからでもあるけど、いままでは1度も自分から評価したことはなかった。だからこそ、今年、この作品を見せてもらったという事実に対して感謝している。自分が入院していたという最近の出来事と、同じ病院で祖母が亡くなったという過去の体験と、死んだペットの「ハムのすけ」を埋めながら死にはじめて接した記憶と、さらには祖母の親友との電話を通して召喚されてくる作者が生まれる前の大過去。異なる時制の「私」が交差するなか、パフォーマンスというリアルタイムの表現が軸となってきた作者の作品世界が、映像メディアと接続されることで、時間の制約からの解放されていく。(そう思いながら、映像を通してこの作品を見ている私たちの現在にはいつも「時差」があるが。)最後にお兄さんの子供が生まれるというお母さんの電話がかかってくる。ああ、ここまで来て朝の連ドラみたいなの陳腐な展開なのか、と。でも、同時に「陳」も「腐」も時間の経過を意味する言葉だったなとも思う。このコメントを書いている途中に、私も韓国から祖母の訃報を受けた。人生は常に新しい、same old storyかもしれない。
祖母の死を丁寧に詳細に語っていく前半。祖母の人生を幼少期から辿っていく後半。生と死という普遍的なテーマを、自分自身の経験から実直に見つめていったこの作品は、これまで当コンテストで入選してきた作者の過去作と比べても、、とても力強いものになっている。祖母の人生から母が生まれ、母の人生から作者が生まれる。人生とは、自分一人のものではなく、多層的に連鎖的に他の人の人生と繋がっているのだと教えられる。(主に『あたまの中で眠る』について)
映像とパフォーマーによる構成は、現代のお笑い芸人がとる手法にも見受けられる。一方で、本作は、そのような構成をとりながらも、パフォーマーである作者と映像との位置関係、また、内容の時間軸的な距離間に、マンガのような行間を想起させる。その意味において、本作は新たなパフォーマンス手法を開拓しているといえるだろう。それぞれの関係性が絶妙である。
「いっしょに!おえかきおねえさん」、「寿司パフォーマンス」など、作品を応募して、また高く評価されてきた「学生CGコンテスト」の可愛い常連さん。そうする必要がなかったからでもあるけど、いままでは1度も自分から評価したことはなかった。だからこそ、今年、この作品を見せてもらったという事実に対して感謝している。自分が入院していたという最近の出来事と、同じ病院で祖母が亡くなったという過去の体験と、死んだペットの「ハムのすけ」を埋めながら死にはじめて接した記憶と、さらには祖母の親友との電話を通して召喚されてくる作者が生まれる前の大過去。異なる時制の「私」が交差するなか、パフォーマンスというリアルタイムの表現が軸となってきた作者の作品世界が、映像メディアと接続されることで、時間の制約からの解放されていく。(そう思いながら、映像を通してこの作品を見ている私たちの現在にはいつも「時差」があるが。)最後にお兄さんの子供が生まれるというお母さんの電話がかかってくる。ああ、ここまで来て朝の連ドラみたいなの陳腐な展開なのか、と。でも、同時に「陳」も「腐」も時間の経過を意味する言葉だったなとも思う。このコメントを書いている途中に、私も韓国から祖母の訃報を受けた。人生は常に新しい、same old storyかもしれない。