2016年の5月くらいから、寝て起きた直後に夢の内容をビデオカメラに向かって話す、ということを続けてきた。夢日記のビデオ版である。この制作の目的は主に二つあった。ひとつは、些細な行為の蓄積を記録で残したい気持ちがあったこと。夢について語ることは不毛なことなのか。夢のイメージは、頭の中に映像として確かに存在した。そしてビデオで夢日記の記録を続けると、その人の精神はどうなってしまうのか、自分自身で人体実験をした。ふたつめに、夢を編集するとはどういうことか考えたかった。自分の中にあり、はっきりと意識されていないにもかかわらず、自分によってすでに編集されて、言葉として出てくるものが夢。さらにその映像に編集を加えることで現実と無意識の間を探る。 話した内容が本当か嘘かは誰にもわからない、本人ですらも。この状況を利用して新たな映像表現・物語の紡ぎ方が可能になるかどうか、夢の話の映像は、夢の話を人にされることの退屈さを超えられるかを追求した。
すぐに忘れてしまう夢を残しておきたいと思う人は少なくないのではないだろうか。本作はそれを具体的に試みた夢日記である。一つ一つの夢の話は支離滅裂であり、当然ながら別の日の夢との繋がりはなく、そこにコンテンツではない。問題は量である。儚い夢をひたすら記録した、その事実がコンテンツである。なぜなら記録という行為を通してのみ本作が成立するからである。そのような意味で、本作は「過去」のパフォーマンス作品と捉えられるだろう。