中山 祐之介
長堀 弘毅, 早稲田大学橋田研究室
早稲田大学大学院
「モノカタリ」は忘れ去られた処理としての生活の記憶から、実体験と少しだけリンクするフィクションを作り出すことで、もしかしたら自分が経験していたのかもしれない物語を読む作品です。
生きている中で「確かに経験した」と記憶する出来事はどれほどでしょうか。歳を重ねる中で、日々の生活の中で覚えていることをあげる方が難しくなってきたと作家自身は思います。とりわけレシートを受け取るときのような、何気ない生活の経験は「体験」というよりも「処理」のようなもので、代わり映えのなく面白みがないかもしれません。しかしそのレシートにはパーソナルなログデータが詰まっています。この情報をベースに自分のアナザーストーリーが描かれれば、何も面白みが無かったとされていた瞬間を振り返って想像を掻き立てることができるのではと思いました。
実際の行動記録としてのレシートをトリガーにして、鑑賞者の記憶のデータベースに直接アクセスし、事実を素材としてコラージュしたフィクションを生成する本作は、シンディー・シャーマンが試みた、シミュレーショニズムとしての写真作品を想起させる。また、ありふれたもの、見過ごされるものに対して物語を付与し、対象を変容させてしまう手付きは、デュシャン以降、現代美術において一般化されている作用を踏襲する。一方で近年のフェイクニュースや、ポスト・トゥルースなどの問題をも考えさせられる。更に物語を生成する上で、住所から周辺情報を、日付から天気などを紐付け付与するプロセスは、どんな些細な情報からも個人を特定できてしまう現代の情報社会の恐ろしさなども示唆している。ともかく、最も現物を体験したいと思わされた作品である。