岡 ともみ
tettou771, 小林 有毅, 遠藤 純一郎
東京藝術大学大学院
縄文時代の日本では、あの世はこの世のあべこべである、と信じられていた。こちらが夕ならあちらは朝、こちらが夜ならあちらは昼。このような考え方は、現在でも「サカサゴト」と呼ばれ、死人が出た際には日常の様々な動作を逆に行うという風習として、日本各地に残っている。展示室では、まさに「サカサゴト」のように、本物の時計の盤面は反転し、逆回転している。そんな古時計が反転する時、忘れ去られようとしている葬送の風習を思い出すように、内部の映像が再生される。岡は自身の祖父の死に際して棺に青い紫陽花を手向け、火葬の終わった遺骨が薄青に美しく染まっていたことが、自分にとっての祖父を送る儀式であったと感じた。かつて日本にあった葬送の風習を調べていくと、小さいコミュニティや人がかけた思いがそれぞれにあることがわかる。今や消えようとしている風習を見ていくことで、形骸化しつつある葬送の形や、死との向き合い方を再考したい。
この作家の作品は「過去を遡って個人的な時空に触れる」ような生々しい感覚をいつも覚える。さらに今回は、日本独自の風習から「死」と向かい合う経験を自身の祖父の死を重ねながら描き出すことに成功している。「死」は「時間」という不可逆性が伴う。それがかえって逆方向を示唆する「サカサゴト」によってすでに手の届かないパラレルワールドたる世界へといってしまったことを際立たせる。その装置としての古時計12台を使って展示するなど表現の多層性は目を見張るものがある。また古時計といった年月を感じるオブジェクトの中に映像モニターを違和感なく設置する展示手法の技術的な高さも伺える高度な作品となっている。今後も作品を見届けたいと思う作家である。
古来より伝わる風習には歴史的背景や戒めなど親から子へ子から孫へ伝わったものが数多く存在する。その多くは子孫繁栄を願ったものが多いが近年は時代とともに失われつつある。
個人的な体験をきっかけに制作した本作は、日本の風習の奥深さ、時の流れに抗ってきた歴史を垣間見るようである。
逆回りで時を刻む柱時計は宙を浮いているように配置され、この世とあの世の境目に迷い込んだような舞台演出で浮遊感を感じる。時計に埋め込まれたモニターや障子の組子など細部に至るまで丁寧で完成度が高い。一見、暗く陰鬱になりがちなテーマを、繊細な描写で美しく儚く仕上げており、観るものを魅了する作品となっている。